こまの雑記

気をつけろ!じき、チラ裏になるぞ!!

8/16

今日は祖父の三回忌でした。

お経あげて、お坊さんとコロナ影響の話して、

会食はこわいから豪華なお弁当頼んでみんなで食べて。

ばあちゃんが嬉しそうだったんで、いいんじゃないかな。

 

じいちゃんは、元競輪選手でした。

全国をまわる、結構人気の選手だったみたいです。

優勝旗もいくつかおうちにあって、内のひとつは棺に入れました。

結構長く現役してたみたいで、

ぼくが生まれるちょっと前に引退したのかな?

ぼくが知るじいちゃんは、

チャリ修理がどちゃくそうまいパートのおじちゃんでした。

 

物心つく頃には、父親代わりのような存在でした。

元々じいちゃん家は、奥さんが三つ指つくようなお家柄で

まぁ…厳しく、質素で、礼儀と言葉遣いにうるさいおうちでした。

じいちゃんはよく怒るけど、いちばん人にやさしくできる人間で

お友達も多くて、その分外ヅラも良ければ酒豪でもありました。

おうちでは女どもより口煩くて、日々がキッチリとルーティンで

毎朝起きた後と毎晩風呂上りには必ず

仏壇に向かって私たちの名前を揃えて毎日の無事を願うような

かたっくるしい生き方をしている人でした。

 

よく、結婚相手には結局父親みたいな男を選ぶとか聞きますが

もしもぼくが旦那様を迎えるとき、

たぶんじいちゃんに似ためんどくせえ男なんだろうなぁって思います。

 

最期は、病死だったんですが、

どこの病院に転院しても若い看護師さんに大人気でした。

大体誰に対しても両手を揃えて笑顔で、

ありがとぉ と言う人だったし、

元々男前部類だし、外ヅラがいいので、

可愛い可愛いとよくしてもらっていました。

それが最後の自慢でした。

入院し始めた当初は、入院したくなくて機嫌悪くて

昼食の時間、数ヶ月の間は仕事を抜けさせてもらって

一緒に病室で食べるということをしていました。

2度目の脳梗塞で入院せざるを得なくなったわけですが、

ことばを理解しづらくなる後遺症

(言ってる意味がわからないわけではなく、ことば自体がわからない、

  日本語として聞こえない、喋れない)が残ってしまい、

なぜか私だけが会話ができたので抜擢されたのです。

私にだけ、言いたいことが伝わるから

いつも寡黙なじいちゃんはその昼食の時間だけ

やたらと喋り、愚痴り、笑顔でした。

数ヶ月を終えたあとも頻繁にお見舞いに行きましたが、

あの時間が今となっては宝物やなって思います。

じいちゃんは、元々そんなにお喋りじゃない、

寡黙な九州の漢だったのに、

会話ができる、意思が伝わることが本当に嬉しそうだったんよね。

くもじいちゃんの笑顔が大好きです。

 

おそらく家族でじいちゃんのお堅いところを引き継いでいるのは

私だけだろうなと日々思います。

めんどくせえ男なのだけど、

引き継げていたなら嬉しいです。

ぼくがじいちゃんの家を継ぐことはむつかしいのだけれど

じいちゃんの気質を受け継げたら未来に持っていきたいなとは思います。

まぁぼくも子孫残らなそうなんで未来もクソもなさそうなんだけども。

 

葬式ん時に、じいちゃんがどんだけすげえこと成したのか

どんだけの人に愛されていたのか、

ものすごく理解したので、とってもさみしいです。

ぼくはわりかししんどい幼少時代を過ごしたけど

じいちゃんの子孫として残ることができて良かったと思います。

出会えてよかったとはこういう気持ちなのだなと。

男だったら、じいちゃんみたいになりたかったです。